散骨後の供養

四十九日法要と散骨供養

散骨したら遺骨が無くなってしまいますので何もしなくて良いと思いがちですが、故人様のために何かして差し上げたいと思ったら供養が良いでしょう。

借りていた肉体をお返しするのが散骨

散骨供養

私達の身体は全て大自然からお借りしたもので成り立っていますので、その全ては死して大自然にお還しするのが地球上の生き物としての務めであり、仏教的に見ても何かを残そうとすることは執着であり、執着を捨てることが仏教徒としての務めであると説かれます。

人から何かを借りたとしたら綺麗に使って綺麗にお返しするのが世の中の礼儀というものです。

この世に何も残すことなく自らの身体を綺麗にお返ししようと思ったら本来は骨壺もお墓も不要なのです。

そういう意味では散骨は理想の葬送であり、地峡上の生命の一員としての務めを果たしているのです。

散骨後に残る空虚感

残念な気持ちのイラスト

人は誰もが皆、大切な人が突然居なくなったとしたら悲しみの感情で頭の中が真っ白になって何も出来なくなってしまい、泣いてばかりの日々が続きます。

火葬後に残された焼骨の入った骨壺を触れても冷たく、語り掛けても何も返事をしてくれません。

悲しみの中での亡き人の片付けと整理の日々に少しだけ余裕が出てきた頃に故人の遺言で散骨しても故人の望みを叶えたという充実感こそあれ何もかも失ったという空虚感が襲ってくるのは仕方のないことなのです。

大切な人が亡くなった後の空虚感は避けることが出来ないものであるが故に故人がまだそこに居るような気がする、一人では何もする気にならないなどの複雑な感情が湧いてきて、何かにすがりたい、助けて欲しいという心の中の叫びは何時までも続くのです。

亡き人が傍に居る

人は死んで肉体が無くなったとしても魂は残り続けて身近な人を守ってくれますので亡き人を身近に感じるには心の対話が必要になります。

心の対話とは心で亡き人と繋がることであり、形を必要としませんが、可能であれば故人の写真や位牌があればそれに対して語り掛けることも出来ますし、手で触れることも出来ますので何らかの形があった方が心の交流はしやすいです。

亡き人に喜んでもらおうと思ったら供養はとても効果的です。

供養は亡き人に対して灯明や香を捧げたり好きな食べ物を供えたり、読経や功徳を手向けることです。

散骨して遺骨が無くなってしまっても供養をすることに何ら支障はありません。

亡き人と対話して感謝の気持ちを手向けのが供養なのです。

僧侶の読経供養が安価に頼めます

亡き人に対して何かして差し上げたいと思ったら…やすらか庵の僧侶による供養