補陀落浄土とは

補陀落浄土

果てしない大海原の向こうには観音様の浄土があって補陀落浄土と言い、中世の時代には安楽で争いの無い平和な世界を目指して船を出して旅立った人達が居るのです。

海に沈む夕日

海に還る

沖縄では海の向こうに御先祖様の安楽世界であるニライカナイがあって、楽園の世界があると言われるように、私達の死後の世界が何処にあるかという問いに対して、「海の向こうにある」と皆が答える信仰があったのです。

太陽は宇宙を支配し私達に恵みをもたらすと共に時には災いをも起こす神として古より信仰され、神が出てくる朝に礼拝し、神が沈みゆく夕に礼拝するのが自然崇拝ですが、夕方になって沈みゆく姿が神々しく、沈みゆく先には神々の世界があると言う信仰は自然発生的に起きたことは当然のことでしょう。

海に沈む夕日を見ていると時のたつのも忘れて見入ってしまいますが、日の昇ることを始まりとし、日が沈むことを終わりとするならば、私達はまだ見たことの無い人生の終わりの世界に対して興味を覚え、神秘さを感じるのです。

私達は皆始まりは既に経験しているのですから、後は終わりがどうなるのか、そして何処に行ってしまうのかという答えを沈む夕日は私達に見せてくれるのかもしれません。

海が好きな人

海の散骨

日常生活の中で良くないことや嫌なことが続いた時などに、海は何の用事が無くても只見に行くだけで心が癒されて良い気分転換になります。

波の音を聞くだけでも、只遠くの水平線を眺めているだけでも飽きないのは海が私達の心の故郷であるからです。

地球の45億年という歴史の中で、原始的な生命は海から誕生して様々な種に進化を遂げたと言われていますが、海は生命の揺りかごであり、母であることから私達の魂の中には海に触れあった時に自然と癒されるリズムや波長、温かさなどを兼ね備えているのです。

海から生まれて来たとしたら海に還るのが生命としての本来の姿であり、海に還るというよりは海に溶けていくというのが正解なのかもしれません。

私達が死して何の変哲もない土に還り大地に溶けていくのと同じように、海は生命の死を受け入れて大海の中に溶かしていく作用を持っているのです。

大自然とというものは私達人間が何もしなければ本来の自然に還っていくように、私達もまた自然の一員であることを認識すれば、海の散骨が生命としてのごく当たり前の営みであることに気が付きます。