風呂で言うと合葬墓は共同浴場

後継者が居ないので墓じまいして合葬墓に改葬したけれど、故人が人付き合いが苦手で一人で居ることが好きだったので合葬墓の雰囲気に慣れてくれるかどうかが心配です。
これまで一人専用の風呂に入っていた人を共同浴場に入れてしまうなことになりますが、果たして大丈夫でしょうか。
一人で居るのが好きな人

世の中には多くの人に囲まれて安心出来るタイプの人と誰にも干渉されずに一人でいるのが好きな人のタイプに分かれ、元々人間は作られた社会の中で集団で生きていくことによって現代にまで命が繋がってきたという歴史がある以上社会的動物であるのは事実なのですが、個性を重んじる多様性という意味では集団の中に居ながらも孤独を愛する人が居ることで社会が成り立っているのです。
一人の人が生きていくためには食べる物にしても着るものにしても作る人・運ぶ人・売る人などの多くの人の関りによって成り立っているのですから、今の世の中で全く一人で生きていくことは不可能に近いことです。
しかし豊かな時代だからこそ孤独を愛する生き方が出来るのであって、ある意味とても贅沢なことかもしれません。
墓に入る理由

家が生きている時の生活空間であるならば、墓は死後の世界の家であり、○○家と記されているのは血のつながった家族が死後に仲良く暮らすためのものですから、自分達の空間であり他の人達と一緒にという考えはありません。
ましてや孤独が好きな人であれば夫婦墓(めおとばか)と言って夫婦だけで水入らずで入る墓なのです。
自由奔放な生き方をして孤独を愛するような人でしたら、たとえ入るべきお墓があったにしてもお墓という選択肢ではなくむしろ散骨という選択肢を生前中から宣言するのです。
墓じまい

歴代続いた名家であっても何時かは必ず後継者が居なくなって家系が絶えるということはあるもので、仏教では永遠に続くものは何も無いと言う意味での「諸行無常」は釈迦の悟りの内容でもあり、どのような時代でも何処に居ようとも絶対不変の法則としてあり続ける限り家系が永遠に続くようなことは無いのです。
「何時かは必ず墓じまい」もまた不変の法則なので建立されたお墓は撤去して更地に戻せば良いのですが、遺骨というものが残っている限りその遺骨を何処に持って行くかという問題に直面するのです。
近年では
のような選択肢が普及してきたのは「後継者不要」という需要に応えるための選択肢なのです。
合葬墓を望む人と望まない人

少子高齢化、核家族化、人口の減少が加速度的に進んでいる我が国の現状からは、これからの時代後継者が居なくなる人が続出しますので、個別の墓を作ったところで面倒を見てくれる人が居ないことから、生きている時から合葬墓を予約する人が増えています。
どうせ死んでしまったら忘れ去られるだけの存在なのだから、遺骨などは粗末にならない程度に扱ってくれたらそれで良い、皆と一緒で構わないという考えなのです。
合葬墓は何と言ってもお墓と比較して安い料金で利用出来ることが大きなメリットであり、後継者不要で利用することが出来て、一度支払ってしまえばその後の支払いが無いこと、誰にも迷惑を掛けることが無いことなどが人気の理由です。
一人で居ることが好きな人を合葬墓のような不特定多数の集団の中に入れることは悩ましいことであります。
御本人の性格からしてこれは無理だな、可哀そうだなと思うのなら散骨が良いでしょう。
どうせ土に還るのだから死んでしまえば誰もが同じこと、という諦めが出来る人でしたら合葬墓で良いでしょうし、他の人の事など気にする必要ありません。
いずれにしても亡き人の生前中の気持ちを最大限に尊重して差し上げたいものです。





