わが国では平安時代に、民衆の窮状を憂えた淳和天皇が民衆の窮状を救うために、自らの葬儀を簡略にすることを願い、没後は京都市右京区の西嶺上山中に散骨されました。天皇の葬送は土葬が通例で豪華な古墳を作り、葬送の儀式も大変にお金のかかることで、こういったお金や労力を苦しい民衆の救済のために使うことを望まれたのです。現代では宮内庁の羽毛田信吾長官が2012年4月26日の定例会見で、天皇、皇后両陛下が亡くなられた際、「できるだけ簡素なものとすることが望ましい」という両陛下の意向を踏まえ、火葬を検討していることを明らかにしました。今の時代、東日本大震災の復興がなかなか進まず、経済の状況が低迷している中で、民衆のことを思う天皇のお気持ちに感謝すると共に、私達の葬送のあり方も真剣に考える必要があると思います。ホームページリニューアルに伴い、淳和天皇の散骨のイメージイラストを書き換えました。
随分前から散骨が行われていたのですね、知りませんでした。