読経供養に付いて

NPO法人やすらか庵の代表が僧侶をしていることから読経供養による仏式の散骨が可能です。
魂の旅立ちのお見送り

私達一人一人の魂は無始の過去より終わりのない永遠の旅を続けていて、今ここに居るのは永遠の旅の長さからしますと指をパチンとはじくだけの時間でしかないそうですが、それでも人の身体を頂いて現代を生きていける立場にあることはとても有難いことであり、人としての旅が終わりますと人の身体を捨てて次なる旅へと旅立つのです。
地球上に生きる全ての人達がそれぞれの旅の途中であることを思えば家族や友人、職場の仲間もまた旅の途中で出会ったのですから、その御縁を大切にし、生きていく上での様々な課題に対応しながら魂の向上に努めることが私達に与えられた大切な使命なのです。
出会いあれば別れありで、別れというものは必ずやって来て、その別れの中でも死別が最も悲しい別れであり、特に愛する人との別れは辛いことではありますが、悲しみをこらえながらも去り行く人に手を振って姿が見えなくなるまで見送ることしか出来ないのです。
私達の肉体

私達の肉体というものは骨まで含めて全て地球上の要素をお借りして出来ているのですから、地球上の生き物であれば死して肉体を元の地球に還すということを当たり前の如く行ってきたのです。
借りた物は返すというのが大宇宙の原則であり、動物や昆虫そして植物でさえ死して横たわった瞬間から他の動植物の糧になったり分解されて肥料になるなどして他の役に立つ使命を果たし終えて元の自然に溶けて消えていくのです。
私達も地球上の生命の一員であることから太古の昔より死して自然に還るということを繰り返してきたのですが、自然とは切り離された生活を享受する現代社会に於いては自分の死後に何時までも忘れずにいて欲しい、覚えていて欲しいという欲望を満たすために遺骨を残す、墓を残すようになったのです。
しかしこの世に永遠に続くものは何もなく、子孫長久を願って建立されたお墓にしても世代にして3代も続くようなことは無く、墓じまいされていく墓が続出しているのです。
読経供養でお見送り

私達人間が他の動物達と決定的に違う所は死者を弔うことです。
読経供養には死者を弔う目的の他に魂が迷わぬように導くという目的があって、葬儀の時の引導(いんどう)作法とは死者の手を引いて導くということであり、生前の肉体を捨てて魂の存在となった死者が何処に向かえば良いのかを指し示す光明となるのです。
NPO法人やすらか庵の代表は僧侶をしていますので海の散骨、森の散骨共に読経供養が可能で、御布施が不要ですからどうぞ御利用下さい。
直葬でお葬式をしなかった、家族葬をしたけれど僧侶は呼ばなかった、などで攻めて最後に読経してもらいたいというご希望があればお応え致します。
孤独死で最後は可哀そうだった、病気や事故で突然亡くなったなどの場合でも散骨の儀式に読経があれば亡き人の魂は安らぎ、見送る人も満足することが出来るのです。


