散骨後の一周忌や3回忌などの法事

法事のイラスト

散骨してもその後の一周忌や三回忌などの法要を行うことが出来ます。

法事とは

故人の死後に遺族や関係者が集まって亡き人の供養をすることで、死後の年数に応じて一周忌、三回忌などの供養があり、三十三回忌で終わりとすることが多い。

亡き人は死後の世界で生まれ変わっている、何も残らないなどの説は宗教や個人の考え方によって様々な説がありますが、亡き人のために徳を積んで死後の世界に届けるということが法事の基本的な考え方です。

納骨と散骨

納骨とは故人の遺骨お墓納骨堂などの埋葬場所に埋葬する事で、散骨は遺骨を粉骨して大自然に散布することです。

納骨が墓地に埋葬する埋葬行為であることに対し、散骨はある意味大自然への納骨ですが埋葬行為ではありません。

納骨も散骨も納骨に変わりはありませんので、法事をすることは同じと解釈して間違いありませんが、散骨はどちらかと言いますと自由な考えの方の利用が多く、散骨によって遺骨が無くなったという意識が強く、法事もしないと考える人が多いのではないかと思います。

遺骨が無くなる事について

散骨すれば遺骨が無くなりますので、お墓参りは出来ませんし、亡き人に対して手を合わせる礼拝の対象が無くなりますので、供養をしなくてよい、或いは供養をしても仕方ないと考えるのではないかと思います。

お墓も無いし遺骨も無いということで、これまでの常識としてのお墓で供養するというシステムが破綻しつつあるのではないでしょうか。

お墓というものはこれまで、家とお墓は絶対に必要、お墓があれば安心という考え方で購入されてきましたが、それはあくまでも後継者が居るという前提条件が満たされた上での話であって、今の時代のように後継者が居ない人が続出するような世の中には通用しないことなのです。

散骨は斬新ではありますが、従来の常識が通用しない方法として受け入れられているのです。

寺離れ

指定石材店のイラスト

現在の寺院は江戸自体の国家的な政策である檀家制度の産物として国民一人一人が寺院と結び付けられて、ある意味寺院は役所的な役割を持たされて周辺の住民を管理してきた中にある法事の制度は、今の時代のように何処に住んでも何の仕事をしても自由な時代では寺院に管理されて、しかも寺院の運営のためにと多額の寄付金を請求されるようなことを嫌います。

特に若い世代の方の寺離れは著しく、寺院の僧侶が尊敬できない、お金の請求ばかりされるなどの理由で不評なのです。

私は寺院の供養に関する相談も受けていますが、確かに信じ難いようなひどい寺院や僧侶はたくさん居るもので、このようなやり方では皆が離れていくだろうなと思いますが、寺院の方では全く問題意識が無いのには驚きます。

遺骨が無くても法事が出来る?

読経

遺骨が無くても法事ば出来ます。

可能であれば位牌ぐらいは作りたいところで、位牌は亡き人の魂の依り代になるからです。

散骨が済んで亡き人の遺骨が目の前から居なくなって寂しい、何か出来ることをして差し上げたい、などの心の悩みや苦しみを持たれる方は多いものです。

別に親族など呼ばなくても法事は出来ます。

お寺さんとのお付き合いが無い方が、寺院に新規に供養を頼むと入檀料や寄付金など多額の金額が必要になってきます。

やすらか庵では散骨を利用された方のために入檀料や寄付金など不要で一周忌や三回忌などの法要をお宅にお伺いして行いますし、高野山真言宗やすらか庵に来て頂いても法要は出来ます。

お気軽にご利用くださいませ。


他にもたくさんの散骨に関する質疑応答エンターがあります