寄付金とは
寄付金とは法人や団体などの方針に賛同し運営に協力するために支払う見返りを期待しない金銭の事。
寺院の寄付金
寺院の僧侶は出家者と言われ、仏に仕えながら法を説くことが仕事であり、祈願や供養などの収入で運営していますので、一般の在家者のように俗世間で生活のためのお金を稼ぐ仕事はしません。
寺院の運営は在家者の布施によって賄われているのが常ですが、本堂の建て替えや増改築などで多額の費用が必要な時に、寄付金という名目で金銭を集めることがあります。
寄付金は何のため?
寄付金は寺院を支援することで徳を積むことが目的のため、見返りを期待しないものですが、寺院としては出してくれた人に感謝の意を表すために記念品を渡したり、記念碑に寄進者の名前を彫ったりして徳を称える配慮がなされています。
我が国では喜捨(きしゃ)と言って惜しげもなく喜んで自分の財産を投げ出すという習慣が定着していない上に、お金というものは物やサービスを買うために使うものだという観念が根付いているために、寺院から何の見返りもなくお金を差し出しなさいと言われても理解出来ない人が多いのです。
寄付金の額は?
寄付とは自分がお世話になっている所に対してお礼として差し出すものであることから、土地を差し出したり、物品であったり、お金であるなどの様々な形態がありますが、寄付金と言えばお金のことであり、一般的には10万円単位の大きな額のことを言います。
寺院の御祈祷のおかげで命が助かったような人にとっては命の御恩として数百万円~数千万円の寄付をする人も実際に居ます。
寄付金の強制
本堂の建て替えなどで多額の費用を捻出するために寺院によっては檀家に対して決まった額の寄付金を出す旨の案内が来ることがあります。
何十万円もの大金を半ば強制的に徴収することは、経済的に余裕のある人でしたら構わないでしょうが、経済的に苦しい人にとっては死活問題です。
寄付金とは本来、協賛した人が自主的に出すものですが、寄付金を強制することで寺院から離れたいと真剣に思う人が必ず出てきます。
寺院との関係
寺院が自分達の先祖の供養を毎日欠かさずしてくれて、そのおかげで今の生活が成り立っていて、幸せを感じることが出来るような人でしたら、寄付金は徳を積むチャンスですから、そのチャンスを与えてもらったと思えば、実に有難い事です。
しかし寺院の僧侶が到底尊敬できるような人ではなく、供養も満足にしてもらっていないと感じる人にとっての寄付金は、到底納得出来るものではありません。
近年では寺院の檀家を辞めたい、お金を払いたくないと思う人が増えているのは、寺院の姿勢に納得いかないと思う人が多いからなのです。
本来の寄付金は寺院から言われなくても差し出すもので、徳を積める良いチャンスなのです。