散骨トラブルとは

散骨トラブルのイラスト

散骨の普及に伴い、多くの人が自由な葬送としての散骨を実施していますが、明確な定義が無いことや、ルール、マナーがない事によるトラブル、散骨業の開業が許認可制ではないことから、悪徳散骨業者が多いのも事実です。

勝手に墓じまいして散骨

お墓が無い

近年では後継者が居なくなったなどの理由でお墓墓じまいして更地にし、遺骨を散骨するということが増えてきましたが、墓じまいする前に本来であれば親族や縁故者などに相談したり連絡したりする必要があります。

しかし反対されるからとか、面倒だということで親族や縁故者などに連絡しなかったために、後でお墓参りに来た人から「お墓が無くなった」ということでトラブルになり易いのです。

墓じまいの権限はお墓の権利を持った「使用者」にあり、使用者が決める事には誰も反対することが出来ないのですが、お墓というものは人と人との繋がりで成り立っていますので、この場合には縁故者に何も連絡しなかったということがトラブルの原因なのです。

たとえ縁が薄い人でも自分も入るつもりだったと言う人も居ますので、墓じまいに関しては面倒でも知らせる必要があります。

散骨に反対する人がいる場合

反対

宗教的な理由や個人的な感情で反対する人もおられますので、そういった人に対してどのように応対するかが難しいところです。

宗教的な理由で反対する人

散骨したら成仏できない、極楽浄土に往けない、地獄に堕ちるなどと言われることがありますが、個人的な感情も入ってこのような言われ方をすることもあります。

死後の世界のことですから、宗教によって世界が違いますので、それぞれの価値観は尊重されるべきだと思いますが、お墓に関しての権限が全く無い人に反対されることもあります。

勝手に特定の宗教施設に納骨

兄弟の中に特定の宗教の熱心な信者が居て、遺骨を勝手に持ち出して特定の宗教設備に納骨してしまったということがあります。

しかも先祖代々のお墓があるにも関わらずに強引にしてしまった場合です。

本人の意思に関係なく強引に納骨することは良くない事ですが、実際にはこういう事が起こっています。

これは宗教を巻き込んでの壮絶な争いになってしまいます。

感情的に反対

「お父さんは散骨を望むような人ではなかった」「お墓に入れてあげて供養してあげたい」「散骨したら可哀そう」「手を合わせる対象が無くなる」等の理由で散骨を反対する人がいるものです。

こういった理由で反対される方は、故人に対して特別な愛情があるような方なのですが、遺骨をほんの少し残して持たせてあげれば賛成してくれた、ということもありますので、良く話し合ってみて下さい。

散骨の時に遺骨を持ち帰ってしまう事例

『散骨に反対していた人がどうしても参加したいということで海の散骨に招待したが、皆が散骨している時に遺灰の入った袋をポケットに入れていた。』

散骨に反対した人の目的はお墓に納骨することで、故人の意思とは違うことなので、こういう勝手な行動をすれば、その結果としての責任は自分で取らなければいけません。

故人の意思を無視して成就を妨げるようなことをすれば、故人の思いが遂げられませんので、こういったことは間違いなく不幸の連鎖になってしまいます。

くれぐれも馬鹿げた行動はしてはいけません。

嫁姑問題の延長、墓に入りたくない嫁

嫁姑の問題は昔からあることで、嫁の立場からすれば、耐えて耐え抜いてきたのだから、墓にまでは絶対に一緒になるのは嫌だという想いなのです。

家に嫁いできた者が先祖代々の墓に入らないということはある意味反逆行為なのですが、拒絶反応を示すほどに嫌なものはどうにもならないかもしれません。

死んでしまえば嫁姑の関係は終わりで、水に流せば消えていくものですが、人間関係というものは恐ろしいことで御座います。

嫌だと言うものを無理にお墓に入れるのも良くない事かもしれません。

恨みの感情が残り続けるかもしれません。

しかし散骨したからと言って人間関係のしがらみが消えていなかったら、次なる不幸に繋がるかもしれません。

業者とのトラブル

石材店とのトラブルのイラスト

今、周りを見渡してみると散骨の広告が目立ちます。散骨はもはや、安い、便利ばかりが強調され、完全に商品化されてしまい、故人様を送り出す大切な儀式であることが忘れ去られようとしているのです。

時代の流れの中で葬儀の簡略化がどんどん進み、1つの商品となって、故人様を送り出す大切な儀式であることを忘れ、形ばかりのお別れ会になってしまったのと同じ道を、散骨もまた繰り返そうとしているのです。

汗水流してがんばって今の日本を築き上げてきた方々を送り出すのに、粗末な送り方をしてしまうと、私達の心まで滅びてしまいます。今散骨が危ないということを気付いて頂きたいのです。

激安散骨

激安散骨は料金が1万円程度の散骨の事です。消費者にとって安いということは良いことなのですが、散骨の定義が遺骨を粉末にして自然の中で散布することですから、粉にして撒けばいいと勘違いしている業者が多く、法律位牌にはなりませんが葬送であることを無視して、内容が全くいい加減、遺骨を処分する散骨のことです。

激安散骨の背景

今の世の中景気は後退し、人口の減少少子高齢化は確実に進み、街の中は高齢者ばかりになってしまいました。
今では若い人の結婚式よりも高齢者のお葬式の方がはるかに多いのです。

このような中でサービス業としての葬式産業の伸びに目を付けて、他業種からの参入や新規参入の企業や個人が散骨業に殺到しているのです。

散骨業者が増えてくれば競争が激しくなり、価格競争が始まります。計画性の無い価格競争は、ただ単に生き残りをかけて競合業者を潰すためのものであり、利用される方にとって料金が安いことは良いことなのですが、業者側は時間とお金を掛けずに違法ギリギリの散骨をするものですから、散骨された亡き人はお気の毒様、無縁仏になってしまうのです。

また生前予約を受け付けてお金を徴収して契約書も作成してあるにもかかわらず、いざという時に電話したら会社が無かったということも増えているのです。

激安散骨の料金

激安散骨の具体的な料金は代行(委託)の料金で2万円以下、更に1万円以下での散骨は要注意です、中身をよく確認して下さい。

「神社に参拝した後に川に流す」などと訳の分からないことを書いてある散骨業者も居ますが、これなどはまだ正直に書いてあるからまだしも、明らかな違法行為です。

散骨は川に流してはいけません、ましてや業者として行うべきことではありません。

信じられない事ですが、岸壁から流したり川に流したりしても証明書なんてどうにでもなるものです。

散骨業者のトラブル

遺骨が不要だから合法的に処分して欲しいという方にとって激安散骨は金銭的にとても助かります。

しかし大切な人のお遺骨をどうかお任せしたいと思う人にとって激安散骨はおすすめいたしません。

具体的にどういうトラブルが起こるかと言いますと

  • アルバイト風の人が遺骨を取りに来て満足な説明が出来ない
  • 川に散骨する!?
  • 神社にお参りする!?
  • 散骨証明書は出さない
  • 何時何処でどのような散骨をするのかの説明が全く無い
  • 骨壺が大きいからと追加料金を取られた

などのトラブルが続出しています。

「テレビに出た」、「テレビで紹介されました」などの文言でのCMを出している業者は要注意です、テレビに出るにしてもいろんな出方があるからです。

否定的な内容の一部として放送されたにも関わらず「紹介されました」などと宣伝している勘違い業者が多いので、こういう業者に頼みますと遺骨は間違いなく処分されます。

生前予約でお金を払った会社が消える事例

『故人が散骨の生前予約をしていたので、連絡してみると電話が繋がらない。』
おかしいと思って調べてみたらその会社は当の昔に無くなっていたということが実際にあるのです。

お金を集めるだけ集めて消えてまた別の会社を立ち上げるようなことを繰り返しているのです。

代行散骨の証明書が疑わしい事例

『海の代行散骨を業者に頼んだらしばらくして散骨証明書が届いたが、その内容がどうも怪しい、疑わしいものであり、問い合わせてみたが納得できるものでは無かった。』

これでは悔しい思いを一生背負うことになってしまいます。

代行散骨の証明書などはある程度の数のひな型の写真があればどうにでもなります。

船を持っていないのに海洋散骨をしている業者もあります。

岸壁から遺骨を撒いて証明書だけを送る業者もあります。

もちろん船は借りることが出来ますので、自分の船でなくとも借りれば良いのですが、年会費を払った上に一回5万円ほどのチャーター料を払って業者としての利益を出すのは困難かと思います。

ホームページの見た目だけで判断してはいけません。
「テレビに出た」と大々的に宣伝している業者は危険です。

手作り、手作業は葬送の基本

手作り、手作業は葬送の基本です、亡き人をお送りするというのが葬送ですから、見かけが良いということも大切ですが、亡き人をお送りするという中身が無ければ葬送ではありません。
散骨は亡き人を送る仕事です。
例えば粉骨、NPO法人やすらか庵では手作業で行い、機械は使いません、それは機械でやれば誰がしても同じこと、手作業で行い、亡き人に語りかけながら、そしてそれが粉骨であることをお伝えしながら実施するのが葬送の儀式なのです。

全て手作業、機械は使いません…NPO法人やすらか庵の粉骨エンター

散骨にしても全て立会いで手作りの散骨を大切にしています…全て立会い、手作り手作業の散骨エンター

僧侶として思うこと

私はNPO法人の他に、高野山真言宗やすらか庵の代表僧侶をしていますが、これからの時代、散骨はとても重要な葬送の役割を果たしていくと思っております。

我が国では後継者の居ない方が確実に増えているからなのです。

日本の人口はどんどん減るばかりで、かつての経済成長路線で賑わっていた頃とは全く様子が違い、若者は減り、老人が増え、国力は落ち、先進国ではなくて、後進国になっているのです。

そういった中で産業が衰退して、しかも亡くなる人は確実に増えているのですが、経済成長の時代には飛ぶように売れていた墓地霊園も今では売れなくなり、後継者不要の樹木葬ばかりが注目されるようになりました。

後継者が居なくても入れる年間管理費無しの樹木葬

散骨も今の時代には普通に選べる選択肢になっています。

散骨業は許認可制でも届け出制でもありませんので、誰でも開業出来ますので、今は散骨業者がたくさんあって自由に選べれるのですが、葬祭に関して素人の業者が多く、遺骨を粉にして撒いて来ればよいと思っていることに危機感を感じています。

もちろん「優しく丁寧に」「真心こめて」などのありきたりのことはホームページにも記載されているのですが、散骨はそもそも葬送であり、亡き人をあの世にお送りする儀式であることが無視されているのです。

私は「亡き人をあの世にお送りする」ことが最も大切な事だと思います。

亡き人の遺骨を粉砕機に入れて蓋をしてスイッチを入れた瞬間に、何をされたか分からない亡き人は迷ってしまうのです。

お葬式は亡き人に対して亡くなったことを知らせると共に、迷わないように案内して差し上げる重要な儀式です。

納骨もまた亡き人が彼岸の世界に行くのに際し、依り代としてのお墓まで案内する儀式であります。

散骨はある意味納骨の儀式であり、肉体は大自然にお還り頂き、魂はあの世の世界にお送りするための大切な儀式なのです。