人間の欲望は仏教では煩悩と言われ、悟りを邪魔するものです。
何かが欲しい、というのも煩悩ですが、その欲しいものも、
年齢と共に変わっていき、若い時には恋人や趣味に関するもの、
或いは家電製品、家、車が欲しいなど、多岐に亘り、
とにかく他人が持っているもので、
自分が持っていないものが欲しくて仕方ありません。
その欲望も年齢を重ねるごとに満たされてくると、
欲しいものがだんだんと無くなってきます。
そして、死を意識するような年齢になると、
もう何も要らない、しかし自分が亡くなったあとも
「忘れないで欲しい、覚えておいて欲しい」
という欲望のみが残るのです。
お墓というものは、この欲望の表れではないでしょうか。
所詮、欲望なのですから、自分勝手な願いということになるのですが、
人間は、欲望があるからこそ生きていく活力にもなりますし、
欲望を満たす楽しみというものがあるからこそ、
人間らしく生きられるのではないでしょうか。
私達は、墓じまいをしていて、それぞれの人生や願いの込められたお墓を
撤去する度に、このようなことをふと考えます。