海と山の散骨
海の散骨は船で沖合に出て粉末にした遺骨を海上に散布し、山の散骨では山中を歩いて木の根元などに遺骨の粉末を散布します。
海の散骨
我が国は周囲を海に囲まれていますので、内陸部を除いて何処に住んでいても海は身近に行くことが出来て、ドライブやレジャーなどで行く機会が多く、海辺を歩くだけでも都会の生活の疲れが癒されます。
私達が母親の胎内から生まれる時には地球上の46億年と言われる生命の進化の歴史を忠実に再現すると言われてい事、或いは波打ち際に居ると波音のリズムが不思議と私達を包み込んでしまうことなどから、海は生命の揺りかごであり、命の故郷であると言われています。
海では沿岸でも沖合に船を出しても散骨できますが、波打ち際で散骨すると打ち上げられてしまいますし、堤防では遺骨の粉末が沖合に流れて行きにくいので、可能な限り船で沖合に出ましょう。
海では散骨禁止条例が出ている自治体がありますので要注意です。
但しこの散骨禁止条例は悪徳業者の不法行為を禁止するためのものでありますが、観光名所などでの散骨は止めた方が良いのは当然です。
海の場合には特に法律で禁止されている場所はありませんが、常識的に考えて
- 海水浴場
- 船の航路
- 水深の浅い場所
- 漁場
などは避けましょう。
海の散骨の良い点は
海の散骨の良い点は船で沖合に出れば大自然に包まれて心が開放的になり、周囲に人が居ないので、大声を出したり思い切り泣いたりすることが出来ることです。
そして海に散骨すると遺骨の粉末はすぐに拡散して海に溶けながら流れて行き、投げ入れた花と共に見送ることで故人の魂と肉体が大自然に還っていく様子を体験出来ることです。
仏教では釈迦の悟りとして「諸行無常」を説き、この世の全てのものは常に移り変わって永遠に続くものは何もないことを意味しますが、海の散骨では諸行無常の事実が目の前で展開されるのです。
海の散骨の問題点
船を使った海の散骨では天候の良し悪しに影響されますので、船酔いしやすい人にとって波が高い時の散骨は、船酔いで苦痛の連続になるかもしれません。
そしてこれは良い点でもあり悪い点でもあるのですが、海で散骨したらすぐに遺骨の粉末が無くなってしまうことです。
お葬式ではまだ亡き人の姿を見ることが出来たし、火葬場で遺骨になったけれど持ち帰り、散骨のために粉骨たけれどまだ形として残っていたものを海の上で撒いてしまったらあっという間に無くなって、こういった亡き人の姿の変遷に心がついていかないと後で空虚感に襲われてしまいます。
山の散骨
飛行機に乗って窓から見下ろしてみますと我が国の国土はほとんどが山であることが実感できます。
我が国は周囲を海に囲まれた国であり、そして緑豊かな山々が広がる国なのです。
私達人間は進化の過程で海から陸に上がった生物として生まれては死にを繰り返し、死して大地に還ることを続けてきました。
大地は生命の湧き出る場所であり、生命の還っていく故郷でもあるのです。
そういう意味では墓というものは死後の世界の入り口、黄泉の国の扉だったのです。
山は国や法人、個人など必ず誰かの所有になっていますので、自分の持物でしたら散骨しても全く問題ありませんが、基本的には所有者の了解を得ることが必要です。
国有林にしても立ち入りは誰でも自由ですが、散骨などで特定の土地の個人的な利用は認めていません。
山の散骨の良い点は
海では散骨したら粉状の遺骨がすぐに拡散して無くなってしまうのに対し、山ではそのまま残りますので、突然の空虚感に襲われるようなことは少ないのです。
まだそこにあるという気持ちがあれば少しは心強いのです。
自分の持山でしたら何時でもお参り出来ますので、ある意味お墓の機能も持ち合わせます。
山が好きな人でしたら迷うことなく山の散骨を選びます。
死して大地に還ることが出来るからなのです。
山の散骨の問題点
海では個人の所有権がありませんので散骨場所は割と自由に決定できますが、山は必ず誰かの所有になっていますので、たとえ国有林であっても許可なく勝手に散骨することはおすすめ出来ません。
誰も見ていないからいいだろうと思っていても、誰かの所有林であれば堂々と散骨出来ないですし、突然山を切り拓いたりするようなことがあるかもしれません。
土の中に埋めれば目立たないからいいだろうと埋めてしまうことは埋葬行為になりますのでたとえ粉骨していても法律で禁止されています。
相談は
散骨をどうしたら良いか分からない、何か良い方法が無いだろうかと悩む時にはNPO法人やすらか庵にご相談下さい。
代表が僧侶をしていますので、どんなことでも即答致します。
NPO法人やすらか庵 電話043-228-1480