骨壺の蓋を開けるには

カロートの中の骨壺

骨壺の蓋は上から被せるだけでなく特殊な構造になっていることがありますので、普通に上に持ち上げても開かないようになっていますが、その構造が分かれば簡単に開きます。

骨壺とは

骨壺とは人やペットの遺骨を入れる壷のことで、火葬して残った遺骨を入れるための壷であり、火葬後の遺骨はまだとても熱いので、耐熱性が求められ、また暗くて湿度が高いお墓に納骨しても長期間耐えられるようにと材質は陶器や磁器で出来た物が一般的です。

関東では昭和の時代に入ってから土葬から火葬に切り替わりましたが、土葬の時代にはお墓に穴を掘って遺体を土中に埋めていましたので、遺体は土に還る自然葬であり、遺骨を入れるための骨壷は必要ありませんでした。

火葬に切り替わってからは、亡き人の遺骨を火葬後に骨壷に納め、四十九日が過ぎてからお墓に納骨するようになりましたが、コンクリートの納骨室に入れられた骨壺の中の遺骨は、いつまでたっても土に還るということがなくなってしまったのです。

散骨するなどの理由で遺骨を粉骨する時には骨壺を開ける必要がありますが、簡単に開きそうに思えて実はどうやって開けたら良いか分からないものがあったりするものです。

こちらにも詳しく⇒骨壺とは

骨壷の大きさは2寸から8寸まである

骨壺の大きさ

左より2寸 2.5寸 3寸 4寸 5寸 6寸 7寸の骨壷

骨壷の大きさとしては一般に

2寸、2.5寸、3寸、4寸、5寸、6寸、7寸があり、

他には特大サイズの8寸もあります。

大きさの表し方としては、昔ながらの尺貫法の「寸」で表示され、1寸は約3cmなので、5寸ならば15cmです。骨壷の場合には胴の部分の直径を表します。

こんなにたくさんある骨壷の用途としては、人用はもちろんのこと、ペット用や分骨用などの用途に使われます。

関東サイズと関西サイズ

 

骨壺-関東サイズと関西サイズ

左が関西サイズの5寸、右が関東サイズの7寸

お遺骨を収骨する骨壷の大きさが関東と関西では違うことをご存知でしょうか。

関東ではお遺骨を全部骨壷に納めますので、成人の方の場合には7寸の骨壷になります。

収骨の時には刷毛で収骨台を綺麗に掃除して、塵取りに集めた灰まで全部骨壷に納めます。

成人男子で体格が良かった人などは、8寸の骨壷になることがあり、8寸ともなれば巨大なバケツのような大きさです。

関西では足、腰、胸、腕、喉仏、頭などの主要なお遺骨のみ骨壷に納めますので、成人の方の場合には5寸の骨壷になります。

骨壷に入りきれなかったお遺骨は火葬場に残していくわけですが、残されたお遺骨は決められた場所に埋葬されるそうです。ある意味強制的に合同埋葬されているわけですが、皆が平等にこのシステムを利用しているので、このような習慣に疑問を持つ人はいないようです。

どうしてこんなことになったの!?…関東と関西では収骨の仕方が違う

骨壷の蓋を開ける前に

骨壺と蓋

自分で粉骨する場合には、骨壷の蓋を開けることから始めるわけですが、精神的な理由から自分で蓋を開けることに抵抗がある人と、全く抵抗の無い人がいることは事実です。

自分で粉骨しないほうが良い人

自分で粉骨しない方が良い人のイラスト

霊的なことを感じやすい人や、中のお遺骨を見るのが怖いと思う方は自分で粉骨しない方が良いと思います。

お遺骨は故人様の体の一部ではありますが、霊が付いていると感じる方もおられます。

遺骨に霊が付くことは無いのですが、骨壷の胴体にに「○○之霊」などと書かれていたりしますし、感じやすい人にとっては、何らかの影響は確実に受けてしまいます。

人としてお遺骨に対して恐れの気持ちを抱くのは自然なことで、わが国の葬送の歴史から見ても、故人様に対して、生き返って欲しいという気持ちと、この世に戻ってきて悪さをしないように、ちゃんとあの世に行って欲しいという2つの気持ちを民族的に持ち続けてきたのです。

怖いと思いながら無理して自分で粉骨する必要はありません、そういう場合には、立会いが出来る粉骨をご利用ください。

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自分で粉骨できる人

自分で粉骨出来る人のイラスト

無神論の方で、人は無くなったらそれで終わりという考えをお持ちの方ならお遺骨は単なる物質であり、何の抵抗も無く粉骨できます。霊的なことは全く信じないという方も同様です。

また、故人様を愛するあまり、毎日骨壷の蓋を開けて触るという方が結構おられますが、中には触るだけではなく、お遺骨を少しずつ食べてしまうという方もおられます。

故人様を体の中に感じていたいという気持ちが自然と食べるという行為になってしまうのです。こういう方も毎日お遺骨を見ているわけですから粉骨に全く抵抗の無い方です。

骨壷の蓋の開け方

骨壺の開け方の説明イラスト

お墓に納骨する方は骨壷の蓋を開けるようなことはありませんが、分骨したり、散骨のために粉骨する場合などには骨壷の蓋を開ける必要があります。

骨壷の蓋は、上に引き上げれば開くものと思っていたら大間違い、もちろん簡単な仕組みのものもありますが、最近の骨壷はロック式になっていますので簡単には開かないのです。

テープを剥がす

テープを剥がすイラスト

骨壺の本体と蓋のすき間に湿気防止のため、或いは開きにくくするために白または透明のビニールテープが巻いてあることがあります。

特に透明のビニールテープの場合には気が付かないことがあり、蓋をいくら回しても開かないで苦労することがありますが、案外このビニールテープのせいだったりするものです。

簡単に開く骨壷

骨壺  骨壺

簡単に開く骨壷は構造が単純ですが最近は少なくなりました。安価ですが、密閉性が悪いのと、骨壷が倒れたら蓋が開いて中の遺骨がこぼれてしまうことが欠点です。

どちらも蓋を上に引き上げれば簡単に開きます。そして閉める時は蓋を上に被せるだけです。

骨壺と蓋

上の左の骨壷を開けたところ

骨壺と蓋

上の右の骨壷を開けたところ

ロック式の骨壷

骨壺 骨壺

どちらの骨壷も上の簡単に開く骨壷と比べてみて、外観に大差はありません。

同じだと思って蓋を上に引っ張ってみても絶対に開きません。

開け方が分からないで諦めた方や、蓋が本体に引っ付いてしまったと勘違いして金槌で蓋を叩き壊したという方もおられました。

ロック式になっているので完全密閉ではありませんが、密閉性が良いのと、万一骨壷が倒れても、中の遺骨がこぼれないという特徴があります。

骨壺と蓋

上の左の骨壷を開けたところ

骨壺の蓋のロック

ロックが蓋に付いています

骨壺と蓋

上の右の骨壷を開けたところ

骨壺の蓋のロック

蓋の切り欠き部分

骨壺の胴体の切り欠き

ロックが胴体に付いています

どちらの壷もロックが蓋に付いているか、胴体に付いているかの違いで、基本的に開ける時は左に回して開け、閉める時は右に回して閉めます。回し方は一般的なねじと同じです。

ロックの部分と切り欠きの部分がぴったりと一致していないと蓋が取れませんので、開ける時には蓋を左に回して蓋ががたついた時点で上に引っ張りあげてみて、取れなかったら蓋を左右に少しずらしてみて引っ張り上げるとうまく開きます。

閉める時にはロックの部分と切り欠きの部分をぴったりと合わせてから蓋を右に回します。

たまにあることですが、蓋が固くなってしまってびくともしない時があります。そういう時には誰かに骨壷の胴体の部分をしっかりと押さえてもらってから思いっきり強い力で蓋を回すとロックが外れます。

お墓から出した骨壺が開かない時

骨壺の開け方が分からないイラスト

お墓に納骨されていた骨壺は湿度による遺骨の成分の癒着や寒暖の差による蓋と胴体の癒着など、様々な理由で蓋が開かなくなってしまうことがあります。

そういう時には二人で協力して一人は骨壺の胴体を、もう一人は骨壺の蓋を持って回してみて下さい、回す方向は必ずねじを緩める時の回し方と同じ左回しです。

時々木の棒などでコンコンと割れない程度にショックを与えるのも有効です。

私もこれまでに大変に開けにくかった骨壺はありますが、開けることが出来なかったということは決してありません。

お墓から出した骨壺は蓋が開きましたら必ず水抜きをいたしましょう。

参考になります…骨壺の水抜きの方法

骨壺の蓋を開ける前に

骨壺の蓋を開ける前に

骨壺の蓋を開けると言ってもやはり、大切な故人様の亡骸が納めてある礼拝の対象ともなるお遺骨の入った骨壺を開けるのですから、くれぐれも気安くポイと開けるような無作法なことはしないように気を付けてください。

心構え

私は高野山真言宗やすらか庵の僧侶をしていますが、家にお遺骨をお祀りしていて、その遺骨のせいで体調が悪くなったり、精神的に落ち込んでしまったりする方のご相談を数多く受けます。

霊的な事を感じやすい人は結構居られるもので、そういう方は亡くなった人が家の中を歩いて回ったりすることを見たり感じたりするようなことが日常的にあり、遺骨の前を通るだけで何かを感じてしまうので、そういう霊的なことを感じやすい人は遺骨を家に置かない方が良いと思います。

儀式

可能であればロウソク、線香、塩と酒を準備して、最初に合掌礼拝致します。

霊ではありませんが、亡き人に対しての説明は必要な事です、「これから骨壺の蓋を開けさせて頂きますので、何卒よろしくお願い致します、失礼をお許しくださいませ」と声を掛けることが大切です。

単なる物とお思いでしたらこのようなことは必要ありませんが、古来より亡き人を恐れ敬い、墓を作って悪さをしないように、そして護って下さるようにとの心は誰にでも残っていることと思います。