埼玉県新座市は東京都練馬区のすぐ隣です、
練馬区の都会の雰囲気が迫りつつ、
少しだけベットタウンの生活感がにじみ出ているという感じです。
墓じまいの仕事でやってきたのですが、お墓というものは、どこにでも普通にあるもので、
こんな都会でも普通に存在しているのですが、おそらく100年も前でしたら、
住んでいる人も少なく、典型的な田園風景だったのではないでしょうか。
俗にいう集落のお墓で、今は新しいお墓が建っていますが、
その昔は苔むしたお墓が所々にあり、もちろん亡くなった人も土葬されていますので、
夜になると火の玉が舞っていたのかもしれません。
昔はお墓というものは、幽霊や妖怪、火の玉が出たりして、とても怖い所でした。
今の時代、車は一日中走り回るし、街灯が付いていて夜でも明るいので、
妖怪や幽霊は出る機会を失ったのかもしれません。
ここの入り口のこの仏様、ちょっと惹かれまして、手を合わさせて頂きました。
よく見ますと、座禅していて手は合掌していますが、後ろにも手が2本ずつで、合計6本、
顔は3面あります。光背の右には「寛延」の文字が、左には「念佛講中」の文字が
かすかに分かります。寛延という年代は1748~1751のことですから、
今から270年ほど前に彫られた仏ということになります。
かなり古びていますので、よく分かりませんが、
おそらく「馬頭観音」ではないかと思います。
馬が物資を運んだり、力仕事をしたりと活躍していた時代では、
馬はとても大切にされ、馬の安全と健康を祈願する神として、
或いは亡くなった馬の供養のためにと祀られていたのです。
今は車がバンバン走ってコンクリートとアスファルトで固められ、
誰も気が付くことなく通り過ぎていくような世知辛い世の中にあっても
ぽつんと座り続ける観音様、
昔はのどかで平和で良かったと思っているのかもしれません。
それにしても馬はどこに行ったのやらと嘆いているのかもしれません。