彼岸とは
彼岸とは我が国に於ける雑節の一つで、祭日となっている春分の日、秋分の日を中日とする前後7日間のことで、この期間には先祖がこの世に帰ってくるとしてお墓や仏壇を掃除して供物を供え、ご先祖を迎えます。
彼岸の意味
彼岸とは亡き人が渡っていくと言われている三途の川の向こう岸のことで、因みにこちら側の岸のことを此岸と言います。
先祖の世界である彼岸から先祖たちがこの世に帰ってくる行事のことを彼岸と言って、彼岸の期間だけ先祖たちはこの世に戻ってきてこの世の人達と交流をしてからまた彼岸の世界に戻るのです。
彼岸に亡くなる人が多い
統計的な事は定かではありませんが、昔から言われていることとして、彼岸に亡くなる人が多いと言われていますが、これには気候的な要因とお彼岸の由来に関係があります。
気候的な要因
我が国には気候的な特徴として春夏秋冬の四つの季節があって、太陽の角度、日照時間などの違いによる気温の差がそれぞれの季節を作り出し、動植物は季節に応じた適応を遂げていて、たとえば一年生の植物では春に芽吹いて成長し、夏にはさらに伸びて花を咲かせ、秋に種を付けて種を地面に落とし、冬に枯れるということを循環して命を繋いでいます。
彼岸に亡くなる人が多い気候的な要因としては、植物や樹木の成長と関係あります。
彼岸は春の彼岸と秋の彼岸がありますが、どちらもちょうど生命エネルギーが多く必要になる時です。
春の彼岸は樹木が葉を落として寒い冬を乗り越え、やっと春になってこれからどんどん芽吹く時という時で、冬眠していた木が急にエネルギーが活発になって、蓄えた力だけで芽吹こうとするものですから、その芽吹く生命力が無くて枯れてしまうことがあります。
秋の彼岸は樹木が夏にエネルギーを蓄えて成長し、果実を実らせて種を作った後にやがて葉を落とす時であり、これから長い冬に向けて耐え忍ぶために余計な物を落とす必要があり、葉を落とすと共に自らの命まで落とすことがあります。
春の彼岸と秋の彼岸に命を落とす樹木は老木か病気で生命力が弱った樹木です、生命力が弱っているという意味でお年寄りの方は要注意なのです。
彼岸の由来-ご先祖様が来て帰りに連れて行く
次の理由としてはお彼岸はご先祖様がお墓と家に帰って来る行事ですが、ご自宅に帰られたご先祖様が彼岸の終わりにあの世に戻る時、寂しさのあまり仲の良い誰かを連れて行くということです。
お盆にもご先祖様が帰ってきて、お盆の時にご先祖様が乗ってくる乗り物としてキュウリの馬とナスの牛がお供えされますが、キュウリの馬は出来るだけ早くに子孫の者に会いたいと言う気持ちを表し、ナスの牛は別れを惜しみつつ出来るだけゆっくり帰るという気持ちを表しているのです。
ご先祖様にしてみれば、それだけ名残惜しいということであり、いくら歳を取っていても子や孫が可愛いという気持ちが変わらないのですから、嬉しさのあまり連れて行ってしまうか、付いて行ってしまうかであの世の世界に呼ばれるのです。
彼岸の時にはお葬式が増えますが、特にご高齢の方は、季節の変化にしっかりと対応し、ご先祖様と仲が良くなっても彼岸明けには自分も付いて行かないようにしましょう。
墓じまいとご先祖様
墓じまいをしたらご先祖様はもうお墓に来なくなるのでしょうか。
墓じまい後の御先祖様
墓じまいはこれまでお墓を依り代として天から降りてきていたご先祖様に対して「もう降りてこなくていいですよ」という閉眼供養の儀式を伴ってお墓を片付けることですが、お墓を片付けますと当然ご先祖様は降りてこなくなります。
因みに墓じまいをせずにお墓を放置していたら誰もお参りに来ない墓にご先祖だけが降りてきて、祀ってくれる人を探して迷うということになります。
お墓が無くても仏壇があれば仏壇にご先祖様が帰ってきますが、仏壇も無ければご先祖様の帰る場所はありませんが、心の交流は可能です。
墓じまいして散骨供養して、遺骨も何も残っていないから何もすることは無いのではなくて、目に見えない心の世界との交流は出来ます。
いずれは亡き人の世界に行くのであれば、死後の世界のことは知っておいて損はしません。
死後の世界の秘密が書いてある経典…チベット死者の書について
墓じまいが無事に済んだら今度は自分の将来について決めておく必要があります。