感謝の気持ちとは
私達は先祖からの命のバトンを渡されて今生きているのですが、綿たちに命を継いだ無数の御先祖たちの必死の努力の賜物であり、ただひたすらに感謝するのみです。
命のバトン
今ここに私達が居るのは、日本の国が出来た時から或いはそれ以前に生きていた御先祖様が居たという事実がある訳で、遥か昔の時代から繋がれた命の糸をたどってみたら、誰の先祖も皆同じだったということになるのではないでしょうか。
人類の歴史で言いますと約500万年前には2本足歩行の猿人がアフリカから世界へ広がっていったが絶滅したようで、長い時の流れの中でアフリカ起源の原人、旧人、新人などが発生しては滅びることを繰り返しながらも命のバトンを繋いでいったようです。
私達日本人の直接の先祖は約1万6500年前からの縄文時代に始まりますが、その縄文人が何処から来たのかについては謎のままです。
今の時代のように道路や鉄道が整備されて至る所に家やビルが立ち並び、車や鉄道・飛行機が飛び回って何処にでも自由に動き回ることの出来る環境が出来たのは私達人類の歴史の中でも近代のほんのわずかな時間のことであり、ほとんどの時代が原生林に覆われた中での生活であり、移動手段としては自分の足で動き回るしか方法がありませんでしたし、満足な食料や衣服、医療などがありませんでしたので、50歳以下の寿命で人生を終えるような時代だったのです。
恵まれた環境
今の時代の私達はとても恵まれた環境にあります。
米が不足すると言っても飢え死にする人は居ませんし、お金を出しさえすれば欲しいものが何でも買うことが出来ます。
ある意味長い人類の歴史の中で私達は今とても幸せな環境に居る訳で、これは間違いなく命を繋いでくれた御先祖のおかげなのですから、感謝するしかありません。
葬送の儀での感謝
散骨供養は亡き人をお送りする葬送の儀であり、亡き人に対して感謝の気持ちを手向ける儀式でもあります。
親を送ることは子の務め、送る側と送られる側があり、親と子で逆になることもありますが、送る側としてはこれまでに受けた恩というものをあまり考えなかったような人であっても、亡くなった時に初めてその恩の大きさに気付くもので、亡き人を前に過去の出来事が走馬灯のように巡ってきて、後悔する事ばかり浮かんでくるのです。
同時に感謝の気持ちも湧き出てきて、何とか恩返しをしないといけないという思いなのですが、亡き人に対してはただ「有難う」の気持ちを手向けるしか出来ません。
亡き人を送りだす時には有難うの気持ちが必要ですが、有難うは御恩に感謝するための有難うなのであって、これで最後のお別れ、もう会えないと思った瞬間に感謝の気持ちが湧き出てくるのです。
亡き人はあの世に行く片道切符の旅であり、もう帰ってきませんが、それでも有難うの感謝の気持ちと共に送りだせば送る方も送られる方も後悔の無いお別れになるのです。