葬送とは
葬送とは亡くなった人を火葬の場合には火葬場に、土葬の場合には墓地に運ぶことで、野辺送りと言われていました。
野辺送り
死者を火葬することなく土中に埋葬する方法を土葬と言いますが、昭和の初期頃までは土葬が一般的な方法として行われていました。
地方では家族の者に死者が出ると、隣近所の者が手伝いをして葬儀の準備をしますが、今の時代のように葬儀ホールがある訳ではありませんので、家の中で葬儀を行うのに片付けをしたり、葬儀の準備や炊き出しをしたりなどで多くの人が寄り添って手伝いをしていたのです。
家の中では庭に面した客間が葬儀の式場となり、参列者は庭で受付をして家に上がり、故人とのお別れをするのです。
葬儀は引導をする僧侶を始めとして大勢の人が参列し、葬儀が済んだら死者の棺桶を庭に降ろして数人の大人が担ぎ、僧侶を先頭に位牌持ち、遺影持ち、棺桶持ちなどが墓まで行列して進みました。
火葬になってから
昭和になって墓地の用地不足や衛生上の理由などから土葬から火葬に急激に切り替わりが進むと、野辺の送りの形だけが残って、死者を霊柩車に乗せるまでの行列に変わっていきました。
お墓というものが死者の生身の肉体を埋葬する場から、火葬した焼骨を納めた骨壺を納骨する場に変わったのです。
埋葬する時期についても四十九日の法要が済んでからの納骨になりました。
散骨と葬送の儀
葬送の儀とは亡き人をあの世にお送りする事であり、葬式は葬送の儀なのですが、散骨も葬送の儀です。
人は亡くなった瞬間に魂が肉体から離れていきますし、自分の置かれている状況に気が付くまでにかなりの時間を要しますので、その間に魂が迷ってしまわないようにと、位牌を作って魂の依り代にしたり、亡き人に語り掛けたりするのですが、葬儀は亡き人に今置かれている状況を説いて、死んでしまっていることを理解してもらい、もうこの世には戻れない事、肉体は荼毘に付されること、そしてこれから死後の世界に向かっていくことを説いているのが葬儀なのです。
葬儀は単に僧侶が来て読経しているだけではありません、何のための儀式か分かっていない僧侶も確かに居ますが、それでも決められた作法だけは行っています。
散骨は四十九日の納骨の代わりとして行われるべきで、お墓では無くて大自然への納骨だと思えば良いのですが、一部の業者が行っている「2万円以下の激安散骨」や「簡単送骨のお手軽散骨」などは遺骨の処分として行っていますので、とにかく安い料金で遺骨が無くなってくれたらそれで良い、迷惑ばかり掛けた人だから遺骨なんて不要、という方には最適でしょうけれど、業者なんてどうせ大して変わりは無いからと簡単に選んでしまったら、大切な方が迷ってしまう結果になるのです。
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最近は僧侶の読経付なんていうCMをよく見かけますが、僧侶でなくても読経できる人はいくらでもいますし、本当に命がけで亡き人を送る気があるのか、という事だけが気になる所です。