お墓参りの理由

お墓参り

お盆やお彼岸のお墓参りは、我が国の恒例行事であり、都会では車でお墓参りするための渋滞もまた恒例行事になってしまいました。

人は何故お墓参りするのでしょうか。

田舎のお墓

地方のお墓は、田舎に行くほど普段の生活と密着しています。集落を見下ろせる小高い山の上にある場合は、ご先祖様に守ってもらうように、海に向かっている場合には極楽浄土へ旅立つようにとの願いが込められています。いずれにしてもそこで生まれ育ち、働き、生活していく、その延長線上に死があり、お墓があるのです。集落のお墓ですから、どのお墓も親族の墓であり、お互いに助け合いながら生活をしていた人たちが、仲良く眠る場所でもあるのです。

生まれ育った場所は故郷であり、一生をその場所で過ごすわけですから、その土地に対する愛着も強く、自分にその環境を授けてくれたご先祖様を敬う気持ちが自然と身に付いてくるのです。地方によってはお墓に毎日新しいお花をあげる習慣があり、お供えものをあげたり、掃除をしたりでお墓はとてもきれいです。大抵はお年寄りの仕事であり、孫を連れて墓参りをする姿はほほえましいものです。

小さい頃からおばあちゃんに連れられてお墓参りし、ご先祖様を大切にすることを教えられ、やがては自分が歳をとった時には、今度は自分が孫を連れてお墓参りをする・・・

自然の中に自らの生活があり、ご先祖様に命のバトンを渡されて自然の恵みに感謝しながら生活をする、その延長線上にごく当たり前の姿としてお墓がある。自然に囲まれた中で生活していると、宗教なんか無くても、お墓という存在をすなおに受け入れることができます。

最近は地方でも都市化が進み、離島や山間部に行かないとこのような環境は無くなってしまいました。私は九州の長崎出身ですが、子供の頃には、割りと自然に囲まれていた故郷も今は、住宅がびっしりと立ち並ぶ住宅街に変貌しています。

都会のお墓

私達が自然から離れていくにつれ、お墓も遠ざかっていきます。都会では「高くて遠い」お墓は当たり前、お盆やお彼岸に渋滞に巻き込まれながら行くお墓は、完全に普段の生活とはかけ離れた存在なのです。都会の霊園は、たとえ自分の家のお墓を持ったとしても、割り当たられた区画には、その土地に対する愛着が無く、見知らぬ他人が隣に眠る、死者のマンションという感じさえします。また、ビルの中にあるタワーパーキング形式の霊園はボタンを押すと故人様のお遺骨が自動的に出てくるセキュリティ万全のハイテク方式、インターネットでお墓参りも出来ます。便利すぎると有り難味が薄れるような気がするのですが、ボタン一つで自動的に呼び出されたり、インターネット回線を通して出てこないといけないのですから、亡き人は死後も新しい知識を勉強しないといけないようです。

マンションのお墓も都会らしくていいけれど、都会も少しだけ離れて広い目で見ると大自然に繋がっていることが分かります。たとえ都会暮らしをしていても私達の体には大自然の中で生きていく機能が備わっているのです。都会暮らしも便利でいいですけど、最期ぐらいは大自然に還りませんか、散骨は大自然に還る葬送の儀であり、自然は私達の心の故郷癒しの故郷なのです。故郷に還りたいという気持ちはだれもが持っている、元の場所に還ろうとする法則なのかもしれません。


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