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墓じまいと永代供養
後継者が居ないなどの理由で墓じまいする時にはお墓を撤去して更地にして管理者に返還し、お墓の中の遺骨は永代に亘って預かってくれる永代供養のお墓を利用すれば安心です。
永代とは
永代と言えば「永遠」のように聞こえますが、元々は永い時代のことで、私達は今の時代でこそ人生100年時代と言われていますが、明治時代以前までは人生50年と言われていたのです。
私達の人生が1代で50年と言われていた頃には男女共に20歳位で結婚して子供を設けていましたので一つの世代つまり1代は20年程度だったのです。
つまり百年の時の流れの中で5代の世代交代があったということです。
元々寺院での永代供養は住職が生きている間の1代、或いは2代、3代という取り決めがあって、たとえば50年などの数字で決められている訳ではありませんでした。
寺院の住職は長生きする人が多いので、たとえ住職一代であっても長い間供養するという事で永代供養と言われるのです。
永代供養墓とは
永代供養墓は、寺院などの地下にあるロッカー式の納骨堂、或いは屋外にある観音像などの地下に皆が一緒に入る合葬式のお墓で、後継者が居なくても利用出来ます。
ロッカー式の納骨堂はロッカーの中に1体から数体の骨壺が納められるようになっていて、その施設がある限り個別に預かってもらえるので契約時の料金は相当に高く、年間管理費が必要な場合もあります。
合葬式のお墓は骨壺から遺骨を出して、他の人の骨の上に重ねて撒きますので料金は比較的安いですが、合同墓地ですから、その規模が大きければ大きい程多くの人がお参りに来られる訳で、寂しい思いをしなくて済みますし、年に一回でも合同供養祭をしてもらえば幸せなことです。
永代供養の理由
跡取りがいない方や、また子供達にお墓の問題を残したくないという方、お墓参りに来る場所を残しておきたい方など、永代供養墓をおすすめする理由は様々です。
お墓の後継者がいない
最近は、後継者がいないという理由で、墓じまいをして、お墓の中の遺骨を永代供養墓に移すということも増えてきました。
お墓を造ったばかりの時には子孫長久を願って、いつまでもお墓が続くことを夢見たご先祖も、年月の経過と共に縁が薄くなったり、子孫が絶えたりして、墓じまいということになってしまうのは、諸行無常、世の中の常として、当たり前のことで、むしろはかない夢を抱く人間の悲しさがここにあるのかもしれません。
お墓の中である程度の年月、個別に祀ってもらったということだけで大変な幸せであり、その終わりが来た時には、安心して任せることが出来る所で供養してもらいましょう。
NPO法人やすらか庵では寺院での永代供養として次の選択肢を提供しています
寺院が続く限り供養してもらえることはとても有難い事なのです。
墓じまいからの改葬がスムーズ
墓じまいをするにはお墓から遺骨を取り出しますが、お墓の遺骨は改葬先が決められていなければ取り出すことが出来ません。
民営の霊園や寺院などで永代供養墓の設備がある場合、契約している墓地を墓じまいして遺骨を永代供養墓に改葬するには費用がかかりますが、同じ施設内での改葬なら、費用はかなり抑えることが可能となります。
そもそも墓じまいをするのには、ある程度まとまった費用が必要です。その上遺骨を改葬するのには通常さらに費用がかかることになり、それは結構な負担になります。
その点では、都立の霊園、例えば八柱霊園には園内に合葬墓があり、お墓を持っている人が後継者がいなくなったなどの理由で墓じまいをする時に、遺骨を合葬墓に移す費用は無料で利用できます。
これからの時代の永代最後
今の時代は後継者の居ない人が増え続け新規のお墓は売れなくなり、墓じまいばかりが増えていく中で理想の永代供養とは。
霊園内に永代供養の設備があること
お墓というものは日本人の心の故郷であり、亡き人と会える場所ですから、後継者が居る限り守り続けていくことは大切なことで、お墓の前で故人と語りながら自分の人生を振り返り、これからの行き先を決める場所でもあるのです。
しかし後継者が居なくなることは仕方のないことであり、そういう時に墓じまいをして同じ霊園内の永代供養の設備に改葬することが出来れば余計な手間をかけることなく、スムーズに事が進みます。
一般墓地を購入しなくても最初から合葬墓形式の永代供養が利用できればお墓の心配をすることがありません。
これからの時代は霊園内に永代供養の合葬墓があって、墓じまいした人でも利用出来ることが理想の霊園の条件です。
供養の心を大切に
今まで専用のお墓に居られたご先祖様にとって、終の棲家としてのお墓だったはずですが、世の中諸行無常であり、永遠に続くものは何一つありません。
お釈迦様が悟られた悟りは何時の時代であっても変わらない法則なのです。
居心地の良かった個別のお墓から永代供養墓に引っ越しするのですから、ご先祖様には肩身の狭い思いをして頂かなければいけませんが、何よりもそのまま放置して無縁になって永遠に苦しむことだけは避けなければいけません。
せめて最後だけでも読経供養で温かく、そして丁寧にお見送り致しましょう。
私が高野山真言宗やすらか庵の僧侶をしていますので、お呼び下されば何処にでもお伺いさせて頂きます。
ご先祖様には納得して頂くことが大切なことなのです。