諸行無常とは

自然石の墓

諸行無常とは仏教の開祖である釈迦の悟りの真髄で「この世のものは時間の経過と共に全て移り変わり、永遠に続くものは何もない」ということ。

この世に永遠は無い

お墓というものは家が子々孫々続いて繁栄することを願う家の先祖達が祀られることでやがて家の守り神となり、何時までも続くようにとの願いが込められています。

永遠とまではいかなくても、何時までも子孫が続くことが先祖達の願いであり喜びでありますから、幸せというものは家の者一人一人が天寿全うで亡くなったにしても、その後に後継者が続いていることなのです。

しかし大宇宙の真理を悟った釈迦は何時の時代も何処の世界でも適用される絶対的な真理としての諸行無常がある限り、人の心とそこにある物は全て永遠ではなくて移り変わるものであり、例外が無いという大原則を説いたことで、私達はその法則に対して家も墓も滅びゆく存在であることを知る必要があるのです。

人の心と墓

大宇宙の真理に従うにしても私達は欲にまみれた人間世界で生きている存在ですから、ささやかな楽しみも必要ですし、人情というものも人間世界での大切な潤滑油になっているのですから、愛する人が亡くなった後には亡き人に対して手を合わせる対象が必要ですし、亡き人と対話出来る場所があれば、それだけで心が癒されるのです。

後継者が居ても居なくてもお墓というものは土に埋葬されているという意味で亡き人と会える場所であり、対話が出来る場所なのですから、それなりの意味があってのお墓なのです。

亡き人が最後にお酒を飲みたい、甘いものが食べたいと願っていたら、お墓にお酒と饅頭を供えるだけで亡き人にその気持ちが届くでしょうし、喜んでくれている姿が眼に浮かぶのです。

何時かは墓じまい

お墓の石が粗大ごみ

諸行無常の真理は意外と早くに適用されるもので、お墓にしても3代まで続くようなことは珍しく、特に都会では2代目位で終わりになることが多く、人の世は栄枯盛衰とはよく言ったもので、栄えたと思えばすぐに滅びてしまうのです。

お墓に対しては人の世で作られた物であるから、ある程度使われたら自然に還るか消滅してくれたら良いのですが、現代で使われている石材の寿命は千年単位で持ちそうですから、その前に使用している人が滅びてしまうので、最後はやはり綺麗に片付ける、墓じまいが必要になってきます。

墓じまいは悪ではありません、しかし善であるかと言われたら微妙なことなのですが、放置して大切な御先祖様を無縁にしてしまうことだけは避けたいので、綺麗に片付けるということで善なる方法に近付けるのです。