ありがとうの気持ち
散骨は亡き人を見送る葬送の儀であり、亡き人から受けた恩に対してありがとうの気持ちを手向ける場でもあります。
最後のお見送り
旅立つ人を見送る時にはお腹が空かないようにおにぎりを持たせ、玄関の外に出て抱擁し或いは握手を交わし、感謝の言葉を述べて旅立つ人に手を振りながら旅人の安全を願い、最後に見えなくなるまでお見送りするのが温かいお見送りです。
私達は出会いあれば別れありで、出会う時には嬉しいけれど、別れる時には悲しいもので、生きて別れることもあれば死んで別れることもあり、一生の間に数多くの出会いと別れを繰り返すのです。
旅立つ者にとって、見送る人が居るかどうかは気持ち的に大違いで、見送る人が誰も居ないのは寂しいけれど、たくさんの人が見送ってくれたらとても嬉しいけれど、それでも最後には悲しくなってしまうのは、別れというものが根本的に辛いものであるからです。
愛別離苦
釈迦はこの世の中の全ての生き物が苦しみに満ちていることを知り、その苦しみは四苦八苦と言われ、四苦とは生・老・病・死の四つの苦しみ、八苦とは四苦に愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四つの苦しみを足したものです。
これらの苦しみは私達が生きている間は常に付きまとい、生じては滅し、生じては滅しを繰り返すことから、私達は何時の世でも何処に住んでいてもこれらの苦しみから抜け出すが出来ないと説かれるのです。
愛別離苦とは愛する者と別れる苦しみで、たとえば仲の良い夫婦の片方が亡くなるようなことがあると、残された者は絶望の淵に落とされて、どうしようもない苦しみを背負って生きていかねばなりません。
しかしそういった惨い別れであっても、最後のお別れの時が来たら、ありがとうの感謝の気持ちを込めて、泣きながらでも温かくお見送りしなければいけないのです。
感謝の散骨
散骨は亡き人とのお別れを見送る儀式ですから、ありがとうの気持ちでお見送りしたいものです。
親の恩
親は子に対して一方的に愛情を注ぐだけで、後で何か返してもらおうなどと思ってはいけません。
子供の学業や教育に対しても充分な支援をするのが当たり前のことであり、たとえ無駄になってしまうことがあっても只温かく見守るだけで寛大なる心が必要なのです。
子供にしても親から受けた恩は自分の子供に向けてあげれば良いのです。
そういう意味では親から受けた恩を親に返す親孝行というものは中々出来ないもので「親孝行したい時には親は無し」とは昔からよく言われる諺なのです。
恩返し
自分の親が亡くなってから親孝行なんて変なように思いますが、恩返しというものは受けた恩に対して感謝の気持ちを表すことであり「ありがとう」の言葉だけで充分なのですが、只一回言うだけではなく、何時も「ありがとう」を言うことが大切であり、もちろん親がいなくなった時のお別れにしても「ありがとう」を述べるだけが唯一の恩返しなのかもしれません。
散骨は「ありがとう」の気持ちを手向ける葬送の儀なのです。
大自然の中で思い切り「ありがとう」を言えば亡き人に届くのです。