私が高野山真言宗やすらか庵の僧侶をしている関係で時々和歌山県にある高野山にお参りに行きますが、高野山は和歌山県伊都郡高野町にある高野山真言宗の聖地で、世界遺産に登録された高野山には平安時代より1200年の歴史と伝統を守る堂々伽藍が展開される宗教都市であり、開祖である弘法大師空海の御廟は奥の院と言われる聖域の最奥部にあります。
奥之院へと繋がる参道には徳川を始め諸大名や藩士、著名人などの墓所が建ち並び、全国津々浦々から弘法大師の御縁にあやかるべく奥の院参道に建立された供養塔の数は20万基以上と言われています。
参道には樹齢700年を超える杉の樹が数多く茂り、静寂な環境の中で苔むした石塔郡は神々しさを演出しています。
自然石で出来た石塔は時間の経過と共にやがて苔むして浸食されて倒れ、木々の根に寄せられていますが、寄せられた無縁の石塔さえも自然の中の景色の一部となっているのですから、敢えて墓じまいなどしなくても良いのです。
近年のお墓は外国産の硬くて丈夫な石を輸入して加工し、顔が映るぐらいにピカピカに磨き上げるために耐久性が良く、長年の使用にも耐えていつまでも美しいのですが、味が無くて無機質だと感じるのは私だけなのでしょうか。
元々お墓の石は河川敷の自然石をそのまま使うような物でしたから、不要になっても敢えて片付けるような必要がなくて、その方がお墓らしいと思うのですが如何なものでしょうか。