私達は人として生を受けた以上、いつかは必ず死が訪れますが、果たしてどれくらい先まで子孫の者が覚えていてくれるのでしょうか。自分がお墓に入ったと考えて、子供や孫ぐらいまでは覚えていてくれて「じいちゃん、ばあちゃん、墓参りに来たよ」と声をかけてくれるでしょうが、曾孫ぐらいになると「じいちゃん、ばあちゃんってどんな人?」になってしまいます。法事は亡き人を供養する仏事ですが、故人が亡くなって四十九日、百か日、1周忌、3回忌、7回忌・・・と続き、50回忌で終わるようになっています。近年は33回忌で終わることも多いです。故人が亡くなって50年経って親族が集まっても、直接にその人を覚えている人はほとんどいないので、亡き人の話をしようとしても、あまり話題は無くなってしまいます。その人のために供養するとしたら、50年、或いは33年というのが、ある意味現実的なこととして妥当なのかもしれません。私達はある意味、亡くなってしまうと自然に忘れられる存在なのです。何も残さない散骨というものは、ある意味とても合理的なことかもしれません。