無縁墓

世の中である程度の地位と名誉を得た人は、最後には自分の功績を後世に残そうと考えるものです。

お金にしても若い頃でしたら贅沢品や遊びなどにいくらでも使えるものですが、歳を取ってくると贅沢品や遊びに興味が無くなり、お墓に莫大なお金をかけたりするものです。

またお墓には自分の功績を後世に残すという目的の他に、先祖に感謝するという目的と、子孫に施すという目的もあり、大義名分としてはとても美しいことなのですが、立派な古墳を残した無数の豪族達のことを考えると、やはり立派すぎるお墓は仏教的には煩悩ということになります。

立派なお墓というものは、見た目も大きくて立派で、多くの子孫の者がお参りしている内はとても誇らしいことですが、子孫が絶えてしまって、誰もお参りする人がいなくなれば、その荒れ果てた姿がとても良く目立ちます。

栄枯盛衰というものは、世の中の根本原理であり、誰も逆らうことが出来ません。

特に大きなお墓を墓じまいする時には、賑やかだった頃の情景が目に浮かびますが、静まり返った今となっては、更にそこが更地になってしまえば、人は皆、幻の中で生きているのではないかとさえ思えるのです。

幻とは実際にそこには無いのに、あるように見えることです。幻では無くて真実の世界を見なさいよ、と教えてくださったのがお釈迦様なのです。