無縁仏

都立霊園では古いものでは創設から100年程の歴史があります。

地方からの移動で増えていく人口に対応するために、多磨霊園、小平霊園、

八柱霊園などの大型霊園などが次々と創設され、今では都民の憩いの場ともなっています。

最近気が付くことですが、明らかに無縁になっているお墓が増えてきていることです。

今の時代、お墓が出来てから30年、あるいは50年ぐらいの年月が経つと、

跡継ぎの者がいなくなって、次々と無縁墓になっているのです。

年間管理料を5年以上納めていないと、次のような立て看板が立ちます。

墓地-立て看板

ここで誰も名乗り出る人がいなかった場合には、強制撤去されて、

無縁墳墓に入れられます。

ある霊園で墓じまいをして、遺骨を合葬墓に入れる時に、

職員の方が「ここはよく出るんです」と言った言葉が今でも忘れられません。

彷徨った霊が中を歩いているということなのです。

合葬墓の中には職員の方しか入れませんので、作り話ではありません。

お墓というものは、ご先祖が子孫長久を願って建てたものですから、

子孫の者がお参りしている間はご先祖様も喜んでくれるのですが、

年月が経つにつれ、お参りする人が少なくなり、

やがて誰も参らなくなった時でも、誰かが参ってくることを待ち続けるのです。

そのうち、お墓の中に草木が生えて惨めな姿をさらすようになると、

ご先祖様の苦しみは増すばかりで、

立て看板が立ち、子孫のためを思ったお墓が撤去され、

無縁仏として処理されると、無念の思いはいつまでも残ることでしょう。

この世は諸行無常、永遠に続くものは一つもありません、

永遠を願うお墓も同じことなのです。

必要がなければ、お詫びとおことわりの儀式をした上で感謝の気持ちを持ち、

ご先祖様を丁寧に供養し、綺麗に片付けさせて頂くのが、

最後の後継者となった者の務めなのです。

先祖が勝手に作った墓だから、押し付けられても自分に関係ないと思ったら

終わりです、自分も同じ無縁仏になってしまいます。

永遠の苦しみの代償は大きいものです。

正しく墓じまいをすれば、ご先祖様が無念の思いを抱くことも無く、

ましてや彷徨うようなこともありません。

がんばって今の日本を築きあげてきた方々を無縁にしないようにいたしましょう。

ホームページにもう少し詳しく書いています、よろしかったら

ご覧になってくださいませ。

彷徨う無縁仏-墓じまいの大切さエンター